涼宮ハルヒの新刊『涼宮ハルヒの直観』が9年半ぶりに発売したのでボクも5年半ぶりにまともにブログを書く

 

9年半。
いやはや一体何をしていたらこんなに人を待たせられるのか今度こそ責任者を問い詰めてやりたいところだが、俺は俺であの年、ウサギがレースをゴールしてから今度またウシのやつがゴールをするまでの間に、何か成長や失敗をした(する)かと問われれば特にそんなこともなく、それよりも作者が80まで生きるとしたらこのペースでの刊行だとあと3回しかこのキョン風の導入文を書けないことを真に憂えるべきなのかもしれないな。

 

以下、本題。

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ボクは世界で一番「涼宮ハルヒシリーズ」の新刊を待っていました。
なぜならボクが世界で一番「涼宮ハルヒシリーズ」が好きだからです。


涼宮ハルヒシリーズ」は、その長い刊行スパンから、
イラストを担当するいとうのいぢの表紙絵の変遷を楽しむものでもあります。

・初期(憂鬱~消失):顔が濃く凛々しい感じ
・中期(暴走~憤慨):輪郭が丸く目が大きいロリっぽい感じ
・直近(分裂~驚愕):等身が増え大人っぽい感じ、顔は初期+中期÷2感
・最新(直観)   :直近+色気

 

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表紙イラストの変遷



どのハルヒも良いのですが、ボクが一番好きなのは「直近」です。
なぜならボクが初めてハルヒを読んだ高校時代からもう14年以上の歳月が経過し、
ボクは今30歳を超えてしまったからです。
(このブログでは14年前のボクの高校時代の日記も読めるので、
ツイッターから来て興味がある人は是非読んでみてくださいね)

30歳を超えてしまうと、人はハルヒのような二次元の女の子に対して、
色気やロリやツンデレ凛々しいなど、
そういう‟属性”めいた感覚を楽しむことが出来なくなってしまうのです。
長門が無口クールだとか、朝比奈さんがドジっ子巨乳メイドだとか、佐々木が理屈屋のボクっ子だとか、朝倉が清楚委員長だとか、鶴屋さんにょろーんだとか。。。 


涼宮ハルヒの直観』の実物を初めて見たとき、「思ったより分厚いな、谷川流頑張ったじゃん」と思ってしまいました。
しかしこれはKADOKAWAの罠なのです。騙されてはいけません。
ボク達読者は「新刊ではなく‟続編”を書け」と、谷川流とかいうハゲをより一層追い詰めていかなければいけないのです。


懐古と宣伝と罵倒を終えたところで『涼宮ハルヒの直観』の内容の話をします。
以下の内容は上の文章を書いてから本編を読みその後書いているのですが、
結論、思った以上に面白かったです。

友人の影響で「鶴屋さんの挑戦」に出てきたようなミステリ話をちょっぴりかじっていたのが良かったのかもしれません。
そしてハルヒ×ミステリ(Not SF)が新境地と感じた側面もあると思います。
この調子で名探偵:涼宮ハルヒと助手:古泉一樹 VS 北高ミス研の構図で新作をガンガン作っていくことは出来ないでしょうか。まあ‟涼宮ハルヒ”でやる必要があるかは微妙ですが。


偶然冒頭でいとうのいぢのイラストの変遷の話をしましたが、
本編を読み終わった後見返してみると、『涼宮ハルヒの直観』で使われているイラストが、どのような時系列で描かれているのか若干謎でした。

普通に考えれば「あてずっぽナンバーズ」→「七不思議オーバータイム」→「鶴屋さんの挑戦」→表紙&カラー口絵の順番なのですが、本編のモノクロ絵を見ると、直近で描かれたはずの表紙&カラー口絵の絵柄が、もっとも古い「あてずっぽナンバーズ」の絵柄と近い印象を受けました。

とは言え、ボクはイラストについて詳しくないので、後半2話の濃いタッチのモノクロ絵が表紙&カラー口絵の絵柄と近いと感じる人が多かったら謎でもなんでもないのですが。(以下参考画像)

 

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表紙&カラー口絵

  

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あてずっぽナンバーズ 挿絵

 

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七不思議オーバータイム 挿絵

 

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鶴屋さんの挑戦 挿絵

 

 

次巻はいつになるか分かりませんが、
なにはともあれKADOKAWAまたハルヒを使って金稼ぎを始めようとしているよう?で良かったです。
作品は企業の金を稼ぎたい意向によって発展する、これ豆な。