立川シネマシティg劇場の中心で、サンゴにゃんへの愛をさけぶ 『映画ジュエルペット スウィーツダンスプリンセス』


ジュエルペットって世間的には女児向けアニメという認識が強いけど、個人的にはプリキュアみたく“大友”、所謂“大きなお友達”のレッテルを貼られた視聴者層というのは存在しないものだとボクは思っている。


と言うのも、『プリキュア』のような、制作者が女児に対して制作している作品に群がるオタを大友と呼ぶのであって、『ジュエルペット』は初めから制作者がオタ=大友の視聴も考慮した作品創り、というかネタ仕込みをしているからである。


その証拠にセンパイ役として福山潤が声を担当するコードギアスのルルーシュが登場し、ルビーはこの目でレッドに熱血指導を施す。(世間的には)主な視聴者である(と思われている)ローティーンたちにはおよそ理解の適わないネタがジュエルペットには数多く仕込まれているのだ。




そんなジュエルペットの劇場版作品『映画ジュエルペット スウィーツダンスプリンセス』を立川シネマシティへ見に行ってきた。


劇場は閑散としており、入りは親子連れ2組にボク1人の計5人。



今回のジュエルペットの映画は、入場特典として配られたスウィーツプリンセスティアラという被りものを使って観客参加型の仕掛けが用意されてるらしいんだけど、そのティアラを入場確認のとき貰えなかったんで、開始早々、劇場版は親子で笑って楽しむ路線に変更したのかと戦々恐々だった。


もしかして物語の終盤でマーナ姫役の芦田愛菜が「ティアラを持ってる劇場のみんな!いますぐ力を貸して! 持ってない大友はギルティ!」とボクを断罪してくるのではと気が気ではなかった。


とそんな不安を抱いていたら、開始15分でサンゴにゃんが観客煽りを含めた自己紹介をかましてくれてボクの心は救われた。






「それじゃあみんなもあのセリフをご一緒に!」




「スウィーツ大好きサンゴにゃん!」





アンパンマンと言えば主人公他ジャムバタチーズにメロンパンぐらいしか覚えていない幼女たちが、レギュラーどころか準レギュラーでもないサンゴにゃんの“あのセリフ”なんて覚えているわけがない。


ボクは確信した。ああ、この“みんなも”は劇場にいる5人の内でボクだけに向けられたものなんだろうなと。ジュエルペットは劇場版でも決してボクを見捨てなかったと。だからボクは立川シネマシティg劇場の中心、Fの10番席でサンゴにゃんへの愛を心の中で叫んだのだ。






「サンゴにゃーん!!!!」






と、スウィーツランドにいるサンゴにゃんに届くくらい大きな声で叫んだのだ。


考えてみたら、スウィーツランドへの先遣隊としてサンゴにゃんが選ばれたのも、いやそもそも今回の映画の舞台がスウィーツランドだったのも全てはサンゴにゃんを前面にプッシュするための装置だったのではないのだろうか。


そのことに気づいたボクの耳には、最早マーナ姫の



「劇場のみんな! ティアラを被って私たちに力を貸して!」



という切実なる願いは届いていなかった。


サンゴにゃんは物語の中心で「スウィーツ大好きサンゴにゃん!」を叫び、


ボクは劇場の中心でサンゴにゃんへの愛を叫ぶ。



偶然が生み出したその奇跡的なシンクロを思い、ボクは妙な満足感を抱きながら劇場を後にした。


帰り際、スウィーツプリンセスティアラを頭に乗せた子供たちを見てボクは独りごちた。



「スウィーツ大好きサンゴにゃん……」



どこからともなく「にゃん」と猫の鳴き声が聞こえた気がした。






以下ちょっぴり真面目に。


・パクくんとルビーそんなに仲良くなる要素ねーなーと思ったけど、冒頭でルビーがラズベリーを摘んだそばから食べてしまうシーンは、そのあとシュガーマウンテンでパクくんがこんぺいとうを摘んだそばから食べてしまうシーンと被せて性格の一致を描いてるのね。


・子供たちへのメッセージとしては、ナルトでカカシ先生が言っていた「ルールを守らない奴はクズだが、仲間を見捨てる奴はそれ以上のクズだ」ってことなんだけど、その辺り、7歳の誕生日を迎えたマーナ姫が“規則”である公爵との婚約をあっさり破棄するのを、終盤、“伝説”の通りマザーマウンテンに眠ろうとするパクくんを阻止するのに繋げて表現しているのはうまいなぁと思った。


・もう少し対象年齢の低いアニメだったら、公爵が敵になるんだろうな。善悪の二元論。