書籍紹介






江戸川乱歩全短篇〈3〉怪奇幻想 (ちくま文庫)

江戸川乱歩全短篇〈3〉怪奇幻想 (ちくま文庫)




諸事情により紹介は割愛させていただきます。









清水義範


表題作『その後のシンデレラ』は児童文学や民話の名作の主人公の、その後の生活を空想したパロディー的作品。


五十四歳でコレステロールがたまりすぎて心臓病で死ぬハイジのその後が面白かった。クララは九十二歳まで長生きしたらしいよ。


その他は人間関係の物語。人間は人間と関わって生きている、そのことを面白がろう、という小説。


取り挙げるとしたら『ムカつく季節』 こういうのをケータイ小説で女子高生が書いてくれれば面白いんだけどなー。


どこにでもいる平凡な女子高生が世間や学校や家族に対して感じるちょっとした不満を、ギャルっぽい口調でダラダラと語る一人称小説。


文章は「アタシは死んだ、スイーツ(笑)」で良いから、女子高生のリアル?っていうか一日の生活を書いてくれるだけでも面白そうじゃないか。


とは言え、今はもうケータイ小説(?)って感じだから無理か。


個人的にはもう少し時代を築けるジャンルだと思ったんだけど、如何せん中身があんなんばっかりじゃ長くは続かないね。


『恋空』だっけ? すげー流行ったやつ。あの作者今何してんだろ。






風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)




春樹のデビュー作。群像新人賞受賞。『群像』は大学の図書室に置いてあるけど、今年の号から装丁がすげーポップになってた。


講談社文庫の裏表紙の作品紹介に“青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作”とあるけど、


これ新人だから完全に舐められてるよね。“青春の一片”て……。



作中に登場するデレク・ハートフィールドの作品にサリンジャーの『バナナフィッシュ日和』のパロが登場してた。


デレク・ハートフィールドと言えば面白い話がある。




昔、『風の歌を聴け』を読んだ学生がハートフィールドの作品を読みたいと、ある図書館の司書に購入のお願いをした。


その頃はまだインターネットがほとんど普及していなかったため、司書は作中のヒントを元に色々な書物を調べ、


ハートフィールドがいつの時代の作家で、またどのような本を書いているかなどの情報を集めようとした。


しかし、ハートフィールドに関する情報は、まるで歴史の闇に葬られたかのように一切出てこない。


司書は焦った。仮にも本選びのプロである自分が、たかが一学生のリクエストすら満たせないのはひじょーにマズイ。


司書は更に数ヶ月、躍起になってハートフィールドの実態を追跡した。


が、彼はついぞ学生の要求に答えることが出来なかった。


彼は本選びのプロとしての自信を喪失し、結局司書を辞めてしまったのだった。




ご存知の通り、デレク・ハートフィールドとは架空の作家である。


今でこそ、そんな真実はネット検索で一発の世の中だが、ネットがない時代ではそうはいかない。


しかも本書を読めば分かるが、ハートフィールドについては村上春樹本人があとがきでも言及しているのだ。


ご丁寧にハートフィールドの研究家まで登場させて。



この話を聞いて、市立図書館に架空の作家の作品をリクエストして職員を困らせる遊びを思いついたが、


すぐに迷惑になると気付いたので未だに実行していない。


一度くらいはやってみても良いんじゃないかと考えながら、ボクは毎月市立図書館で実在する作家の書いた本を借りている。






異邦人 (1954年) (新潮文庫)

異邦人 (1954年) (新潮文庫)




最近ちょっと純文学をかじるキッカケが出来たので、図書館で借りた。


究極に頭の悪い言い方をすると、


統失主人公の奇行小説であり、残念ながらボクはその究極に頭の悪い言い方でしか本書の内容を記すことが出来ないのである。


巻末の解説で登場する『異邦人』という単語の“邦”の字が何者かによって全て鉛筆で塗りつぶされていたのが怖かった。






黄泉坂案内人

黄泉坂案内人




死者の魂をあの世へ運ぶタクシー運転手って設定すごい既視感あるんだよなー。別におかしくないけどね、ありきたりな設定だし。


『僕僕先生』はもう新刊出ていたっけかな。また図書館で借りてこなきゃっ。






幻視時代

幻視時代




久っ々の西澤保彦。久々すぎて保彦の漢字間違えそうになった。


西澤作品は脳内麻薬だ。関連するファクターを逆説的に考え、理詰めで事件を解決に導く物語展開はボクの頭に心地よい刺激を与えて
くれる。


名探偵コナン”のようなトリック一発で事件を形成してしまうミステリではなく、


A=B、B=C、だからA=Cである、というしっかりとした土台と根拠を持って事件を推理していくのが病みつきになるほど面


白いのである(もちろんこの等式ほど簡単ではないが)


西澤作品には職業探偵は基本登場しない。


ついでに言えば事件の解決が行われる場所も、事件現場ではない。


今回の『幻視時代』で言えば、探偵役は被害者の元同級生であり、解決場所は事件から二十二年後の居酒屋のテーブルである。


事件に関わった三人がビール片手に二十二年前の事件をあーでもないこーでもないとひたすらに議論を続けるのである。




「もしかして○○は○○だから○○をしたんじゃないか?」


「いや、それじゃあ○○が○○するからありえない。それよりむしろ……」



といった塩梅である。


この議論が楽しいのだ。


「おいおいちょっと待てよお前……」


と読者であるボクも口を突っ込みたくなるのである。


今作『幻視時代』も、答えとしては少々飛躍したところもあったが、いつもの西澤節が見られたのでとても満足だった。