このイソップ童話がすごい!!
「かの有名なイソップ童話に「すっぱい葡萄」という噺がある。
ご存知『狐が葡萄をみつける。しかし食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かない。すると狐は「なに、あの葡萄はすっぱくて食べられたもんじゃないよ」と言って立ち去った。』という内容のアレだ。
イソップ童話というのは本を糺せば人生論書であり、収録されている噺一つ一つの背景に、人生に必要な教訓が隠されている。
「すっぱい葡萄」の場合それは『あなたが何かを手に入れることができないからといって、そんなもの欲しくないなんて思うのは、おばかさんです』であり、早い話、負け惜しみは醜いですよってことなのだが、果たして、ここに登場するこの狐は本当に負けているのか、ボクはどうにも首を傾げずにいられない。
まず考えるべきは、なぜ狐は高い木に実る葡萄を取ろうとしたのかということである。
いくら狐が動物だからと言って、自分の跳躍力を考えれば、届かない位置に生る葡萄に一目で見切りをつけることなど簡単だったはずだ。
それをなぜ、彼はわざわざ行動に移してまで自らの実力不足を確認しようとしたのか。
ボクが考えるに、それは彼なりのプライド、矜持の表れだったのではないだろうか。
目の前に葡萄があるのに見過ごすなんてありえねぇ!ジャンプが足りない?そんなもん根性でなんとかしたらぁ!と、彼が諦めの悪い主人公気質の狐だったからではないだろうか。
ボクは今、市の体育館で、幼稚園児や小学生のガキに、マットや器械体操を指導するアルバイトをしているのだが、彼ら(彼女ら)は新しい技や自分の出来ない技に挑戦する事に、あまり積極的ではない。
そのため、挑戦せずして「えーできないー」とのたまうガキに対して、「大丈夫大丈夫、出来るって、余裕だって」と諭すのだ。
その結果もし挑戦し技が出来なくても、それは特に拘るべきことではない。
「転んだ人を笑ってはいけない、彼は歩こうとしたのだ」By米倉誠一郎 という言葉があるとおり、挑戦することこそ、もっと言えば、挑戦して出来るか出来ないかが分かることこそ、人生には必要なことなのだから*1。
出来るようになるのはまだまだその後で良い、挑戦して得られた情報こそ最も大事と、そういうことなのだ。
それを踏まえて「なに、あの葡萄はすっぱくて食べられたもんじゃないよ」というセリフを考えてみると、狐に対する我々の見方が大きく変わってくることだろう。
そう、あのセリフは負け惜しみではなく、狐が挑戦したことによって得られた情報なのである。
おそらく狐は葡萄を取ろうとジャンプを繰り返しているうちに、房の中に、まだ熟していない緑の実があることを見つけたのだろう。
それは、木の下から見ているだけじゃ絶対に気づかない事実で、無論、“物語の外で噺を読んでいる我々”にも知る由もないことである。
ただ一匹、絶望的な高さに在る不可侵の果実に挑戦した狐だけが手にすることが出来る、非常に意義のある情報なのだ。負け惜しみだなんて片腹痛い。
我々読者は、歩こうとして転んだ人間を笑うどころか、根拠のないうわべだけの情報で、転んだ人間に“強がり”のレッテルを貼り、あろうことか鞭(無知)を打って(売って)いたのだ。
この噺で、偉大なる狐が本当に教えてくれたこと、それは
・挑戦することの大切さ
・その挑戦によって得られた情報の重要性
・うわべの情報だけで物事を判断することは無知である
という三つだ。我々はこのことを、しっかりと心に刻まなければいけない」
という話を「これが物事を多角的に見るということだよ、ワトスンくん」と言って大学の友達に話したら「うっせぇクソホームズ、滝つぼに落ちて逝ね」って返された。。。
以下、探していたら見つけた、相変わらずおもしろい記事↓
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E8%91%A1%E8%90%84
“あらすじ”で溜めた笑いを“問題点”で爆発させるのが快感。。。