書籍紹介

今月は少なーい。。。






サマーウォーズ (角川文庫)

サマーウォーズ (角川文庫)




言わずと知れた。。。



今回ボクはこの小説版「サマーウォーズ」を読む前に、映画「サマーウォーズ」のDVDを友人から借りて視聴したのだった。。。


劇場で見たのはもう何年前か覚えてないけど、どうやらあの頃よりは作品を見る目が養われていたらしく、色々と気づくことが多くて楽しかった。。。


その中でも「サマーウォーズ」という作品は、水と火(日)の闘いなんだと分かったことが最も大きな収穫だった。。。


水に縁のある陣内家と、背に太陽を負うラブマシーンとの闘いなんだと。。。


前者に到っては特に描写が丁寧で、城内水攻め作戦を始め、家族の誰かしらが汗やら涙やら鼻水やらを流し(垂らし)てるシーンが数多く見られた。。。


その中でも最も象徴的だったのは、やはり侘助の登場するシーンだろう。。。


最初に陣内家の前に現れた彼は、食事ではなくまずビールに手を伸ばした。。。


これは体内に水分を摂取することで、長年離れていた陣内家との確執を埋め家族の一員になろうという彼なりのアプローチだったのではないだろうか。。。


当然のことながら、小説でも同じ描写がなされており、さらに、栄ばあちゃんの死の報せを受けて戻ってきた後の食事では、そうめんの汁を飲み干す侘助の描写があり、そこだけ妙に浮いたような印象を強く受けた。。。


また時は戻って、映画で栄ばあちゃんが薙刀を振るうシーン、あの時追い詰められた侘助薙刀の刃を掴むのだが、血が出ていないのである。。。


これは、血(水分)を流さない=人様に迷惑をかけた侘助が陣内家から拒否された事を表しており、そのあと家族と決別した侘助は家を出て行ってしまう。。。


さてそう考えると、クライマックス、主人公小磯健二の鼻血を垂らしながらの『よろしくお願しまぁぁぁすっ!』も、ただのお笑いシーンではないことが分かるだろう。。。


あのシーンは、栄ばあちゃんが死んでも一人だけ涙を流さなかった主人公が陣内家の家族になった瞬間なのだ。無論この言葉は栄ばあちゃんの『ひ孫をよろしく』に対する回答であることは言うまでもない。。。


そして最後、人工衛星“あらわし”(ラブマシーン側なので火)が陣内家の敷地(水)に落ちて混ざり合い、“温泉”が噴きだすというのは、これまたなんとも視覚的にも演出的にも鮮やかな展開と言えるだろう。。。


当時劇場で見ていたボクは、なぜ最後に温泉なんだろう?と全く気づいていなかったが……。。。


残念ながら小説版では挿絵がないため、ラブマシーン=火(日)の表現が出来ずラストで温泉は出ないのだが、ノベライズ特有の文章の不自然さはあまり感じられず(ただ、アクションシーンは正直タルイ)、


読めば映画のワンシーン、ワンシーンが脳裡に浮かび、懐かしさを掻き立ててくれる楽しい出来だった。。。






殺人鬼の放課後―ミステリ・アンソロジー〈2〉 (角川スニーカー文庫)

殺人鬼の放課後―ミステリ・アンソロジー〈2〉 (角川スニーカー文庫)




早稲田の穴八幡宮でやっている青空古本市にて50円で。。。


これスニーカー文庫なんだね。。。昔のスニーカー。。。古靴だ。。。


作品を寄せてるのは四人。。。


恩田陸」「小林泰三」「新津きよみ」「乙一


実を言うと、ここに収録されている四人の作品の内すでにニ作品


恩田陸「水晶の夜、翡翠の朝」 乙一「SEVEN ROOMS」


は読んだことがあるんだよね。。。


それでも購入に走ったのは50円という値段の安さもあるけど、やはり泰三の存在が大きかった。。。



恵美が僕に語る、誘拐された少女3人の運命を描いた、小林泰三「攫われて」



わずか三十数ページの短編にここまで詰め込めるかー、と感嘆してしまった。。。


いや『ここまで』と言いつつも、まだ全てを理解できたわけじゃないから、そう考えると尚の事この作品はスゴイ。。。議論の余地がある。。。


あとこれ、乙一の「SEVEN ROOMS」とも少し似ているか。。。


目的も分からず唐突に、“殺人者”の支配下に置かれるあたりとか。。。


あっちは“殺人者”の正体も目的もセリフも感情も一切排除した、筒井康隆の「走る取的」的不条理ホラー、


片や、目的は分からないが“殺人者”に意味を持たせて、そこに推理の要素を追加したミステリホラー。。。


どちらも味があって自分は両方好きだ。。。



恩田陸「水晶の夜、翡翠の朝」は理瀬シリーズのスピンオフ。。。


あのシリーズの続編はまだでないのかなー。。。








収録されているのは フレドリック・ブラウン「星ねずみ」 アーサー・C・クラーク「時の矢」 アイザック・アシモフ「AL76号失踪す」 レイ・ブラッドベリ「万華鏡」 ロバート・A・ハインライン「鎮魂歌」 C・L・ムーア「美女ありき」 ウィリアム・テン「生きている家」 A・E・ヴァン・ヴォード「消されし時を求めて」 エドモンド・ハミルトン「ベムがいっぱい」 シオドア・スタージョン「昨日は月曜日だった」 チャールズ・L・ハーネス「現実創造」



こん中では、アーサー・C・クラークアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン が海外SFの三大巨匠で有名なのかな。。。


やっぱり、海外のSFはスケールが壮大だなー。時間を扱うにしても、宇宙を扱うにしても、ロボットを扱うにしても。それでいてディティールの緻密さも忘れてないのだから、ホントよく出来てるわ。。。


ボクが思うに、日本の作家はSF的状況に置かれた“人間”をリアルに書くのに対して、海外の作家は“SF的事象そのもの”をリアルに書こうとする傾向にあるな。。。


その証拠にアシモフを育てたジョン・W・キャンベル・ジュニアはSFを「もしそれをあり得ることにできなければ、それを論理的にしろ。もしそれを調査できなければ、それに外挿しろ」って述べてるし。。。


因みに外挿ってのは『未知のことを既存の資料に基づいて推定すること』なんだって。。。


本作、読後の余韻ではウィリアム・テン「生きている家」がダントツだけど、話の面白さではエドモンド・ハミルトン「ベムがいっぱい」、シオドア・スタージョン「昨日は月曜日だった」が二強だった。。。


前者の「ベム〜」は宇宙モノ、宇宙飛行士のレスターとホスキンズが火星に到着して見たものは統一性のない奇妙な宇宙人たちだった……!!


メタを絡めた宇宙人のユーモアな正体も流石だけど、その宇宙人の生まれる理由に“精神放射線”なる波長を登場させるあたりがナイスな“外挿”。また、スペクトルや磁力線を引き合いに出して“精神放射線”を“論理的”に説明してしまう点は圧巻とも言えるだろう。。。


後者「昨日は〜」は名前の通り、時間モノ。が、時間の中をグルグル廻るだけの紋切り型じゃあ断じてない。。。


月曜の夜眠りに付いたはずのハリー・ライトが朝目覚めてみると、なんとそこは水曜の朝だった。周りで忙しなく動く小男どもに話を聞いてみると彼らは驚きの声を上げた。。。



『セットが完成しないうちに俳優が舞台に上がってくるとは。まさに前代未聞』



人生を一つの舞台劇にして主演俳優である主人公に時間の中を巡らせるこの設定のなんと妙なること!


そしてその設定のさらに凄いところは、舞台化=観客の存在、を読者に連想させることで、物語を一気に壮大化させている点だろう。。。


ここで言う観客とは、当然我々読者のことかもしれないし、もしかしたらもっと超越的な何かなのかもしれない。。。


いずれにしてもなんとも夢がひろがりんぐな設定なのだ。。。


だってヤバイでしょ、自分の人生が実は誰かの酒の肴になってたら。何かメン・イン・ブラックのEDみたいじゃん。



この本を読んで自分は居ても立ってもいられず、大量の国内SF短編集を図書館で借りてきた。


読み比べることでより知識を深めたいと思う。