ルール:ストック3機 下二人交代 連続5回まで

 時期が時期なので卒業の話をしようと思う。3月とは別れの季節である。多くの人が現在自らが置かれている立場から卒業をし、新たなステージへと巣立ちを迎える月であろう。



 しかし今回この記事で書こうとしているのは、人との別れがどーのこーのといったおセンチな感情が錯綜する“卒業式”の話ではなく(斯く言うボクもこの春大学を修了し卒業式に出席したのだが)、“物事に対する執着からの卒業”についてである。



 唐突だが今から約22年前の1990年11月21日、これが何の日であるかアナタはご存知だろうか。そう、この日は今や日本屈指の大企業とも言える天下の『任天堂』から、家庭用ゲーム機 スーパーファミコン、通称スーファミが発売された日なのである。


ここで注目して欲しいのは22年前という数字だ。先ほど今年の春大学を卒業したと言った通り、ボクは現在22歳であり、ほぼスーファミと同い年なのである。



 ボクには当時7、8歳年の離れた二人の兄がいたので、今挙げたスーファミを始め、ゲームボーイなど、広義的(お母さん的?)な意味での“TVゲーム”というモノが、物心ついた頃から生活の中に多数存在していた。


いや恐らくボクだけではない。ボク世代の男子たちは皆、幼稚園ないし小学校低学年の頃から、放課後に自宅もしくは友達の家に集まっては、コントローラー片手に持てなされたお菓子を摘みながら白熱したゲームバトルを繰り広げたことだろう。



 思い返せば、ボクたちの成長とはTVゲームと共にあったと言っても過言ではないのだ。


コントローラーの順番待ちを通してルールや協調性を学び、新作ソフトを催促するために学校の勉強を頑張る。


男子なら一度は経験したことがあるのではないかと思う。


ボクの家の話では、運動会の徒競走で一位になったら『ボンバーマン5』を、二位になったら『ボンバーマン4』を、三位になったら『ボンバーマン3』を買って貰えるという、今考えれば妥協点のよく分からないルールがあったりもした。


そんなこんなで、ボクは幼いころからTVゲームに触り勤しみ楽しんできたのであり、“これからもずっとそうであろう”と、当時2Pプレイヤーの黒ボンを操作しながらぼんやりとアホ面で考えていたのだった。



 しかし、いつからだろう。大学に入学する少し前か、ボクは突然TVゲームというものを自主的にプレイすることが一切なくなってしまったのである。


そもそも中学に入った辺りから、部活動の影響かゲームをやる時間は少なくなっていたのだが、それでも休日など暇があるときを見付けては、新作ゲームを買いちょくちょくプレイをしていたのだった。


その証拠に現在ウチには『任天堂』の最新家庭用ゲーム機Wiiが、シャープの液晶テレビAQUOSの隣で埃を被りながら鎮座在している。


確かWiiを買ったのが高二の終わりぐらいだったので、まあ実質一年程度しか遊んでないのだが。



 なぜこうも唐突にボクはTVゲームをやらなくなったのか。こればかりは本当に全く理由が検討もつかないのだ。


この話を他人にするとある人は「確かに最近のゲーム業界はつまらなくなったからね」などと教えてくれるのだが、それは関係がないとボクは考えている。


というのも、受動的にやる機会が与えられる分には、最近のゲームであれ純粋に楽しむことが出来るのだから。


ただ、自分で買ってプレイする気が全く起きないのである。


バイトをしている今の方が昔よりよっぽど新作ソフトを買い易いはずなのに、だ。


あとソフト一本辺りの値段も安くなっているだろう。スーファミのFF6なんて発売当時の定価が一万越えてたのに、今のゲームは大体4800〜6800ぐらいで買えてしまう。


つまり環境?(市場)もゲームプレイヤーに対して追い風であるはずなのだ。それなのにやる気が出ない……。



 ふと、ボクは考えた。(これはもう卒業なのかもしれない)と。卒業とは時が経てばいつか必ずやって来るものである(一部の学生を除いて)。そこに理由が介在する余地などない。ボクたちは泣いても笑っても卒業をするのである。もう一度今度ははっきりと宣言しよう。




ボクはTVゲームを卒業したのである。




生まれたときから成長の道を共に歩んできたTVゲームを、ボクは卒業したのだ。



 ボクはつまらない人間になったのだろうか。


一つのある特定の分野を何の前触れもなく、何の前振りもなく卒業してしまい、果たしてボクはつまらない人間になったのだろうか。


否、先にも述べた通り、卒業とは時の経過によって誰もが平等に与えられる通過点なのだ。


ボクが今年の春大学を卒業して大学院に入学するのと同じように、物事とは出れば入り、離れれば近付くのである。



 ボクは高校卒業と同時にTVゲームを卒業し、大学入学と共に“カラオケ”というモノの面白さに触れた。


そのカラオケは大学生活を終えた今もまだ卒業していないが、もしかしたら大学院を卒業し社会へ旅立つ時にはもう卒業してしまっているかもしれない。


そうしたらボクはまた新しい“なにか”に触れ勤しみ楽しむことが出来るのだろう。結局人間とはそういう生き物なのである。



 この文章を書いてから、ボクは久しぶりにTVゲームをやろうとWiiの起動ボタンを押したのだが、コントローラーを握り一人TVの前に座った瞬間、ひどく気恥ずかしい気持ちに襲われ、結局直ぐに電源を落としてしまった。



「卒業か……」



 ボクはWiiのクラシックコントローラーを見つめながら一人ごちた。


窓の外から吹き込む春の嵐が、Wiiの上に積もった4年分の埃を勢いよく巻きあげていた。